this and that…

興味があることについてアレコレ書いていきます

Je suis content pour toi!!

何か自分に良いことがあった時、まるで自分のことのように喜んでもらえると本当に嬉しい。

喜びが倍増する。

 

誰かに何か良いことがあった時、もちろん日本でもこのように本人以外の誰かが一緒に喜ぶ姿が見られるが、海外の人たちのそれは喜びの度合いが非常に強い。

先日も、本当にちょっとしたこと(もう何だったか覚えていない)に大きなリアクションをもらいとてもうれしかった。

私もぜひ友達のフランス人にこんな喜びを味わってもらいたいと思い、そのための表現をメモしている。

 

こんなとき、日本語では「やったね!」とか、「良かったね」と声をかけると思うが、フランス語では、

Je suis content pour toi!

と言うらしい。

 

être content は、「満足した」と訳されることもあるが、ここでは「うれしい」という意味で使われている。

 

日本語では、出来事に対する感想を客観的な表現で伝えることが多いが、英語やフランス語では自分の感想を伝えることが多いようだ。

いわゆる、「I(アイ)メッセージ」である。

 

「あなたがに良いことがあり、私はうれしい!」

…日本語にすると、やや恥ずかしさを感じる。。

それくらい愛情や思いやりを感じる。

 

もちろん日本的な共感の言葉も私は好きだ。

「(あなたにとって)良かったね!」

「(あなたの)今後が楽しみだね!」

と、相手の立場に立って喜びを分かち合うことも十分素敵だ。

 

日本的な奥ゆかしさも大事にしつつ、愛にあふれた豊かな感情表現を身につけていきたい。

 

 

 

 

「怒る」はフランス語でなんという?

怒る。

英語だと to be angry とか to get angry

ではフランス語では?

この二つが一般的らしい↓

se fâcher

se mettre en colère 

友達のフランス人によると、②の方がよく使うとのこと。

以下例文。

 

姉が怒った。

Ma sœur s'est fâchée.

Ma sœur s'est mise en colère.


私の姉はすぐ怒ります

Ma sœur est une personne qui se met facilement en colère.

 

ちなみに「怒らないで!」だと、

Ne te fâche pas !

Ne te mets pas en colère !

 

...前回のブログでも書いたが、フランス語の表現には書いても妙に読んでも時間がかかるものが結構ある。

今回の se mettre en colère もまさにそれだ。

「en colère」の発音がどことなく日本語の「怒る」に似ているのが救いである。。。

 

日本語は効率的でフランス語は非効率的な言語?-J'ai assisté à la cérémonie de remise des diplômes du collège-

新年度になり、国内の各所で桜が見頃を迎えている。

アプリでやり取りしている海外の皆さんも、

Je suis allé voir les cerisiers en fleurs! (きれいに咲いた桜を見てきたよ!)

と、桜の季節の到来を喜んでいる。

 

そんな時期にちょっと場違いかもしれないが、卒業式の話をしたい。とはいっても、卒業式の内容に関する話題ではなく、「中学校の卒業式」をフランス語にすると長いという話である。

 

「中学校の卒業式」はフランス語だと、

la cérémonie de remise des diplômes du collège

と言う。

「中学校の卒業式に出席した」だと、

J'ai assisté à la cérémonie de remise des diplômes du collège.

※「出席する」は assister à qc

と、非常に長い...

卒業式の話をするたびにこれだけの長い単語を口にしなければならないことが億劫だと感じていた際に、ふとフランス語の単語や表現の中には妙に長いものが結構あることに気がついた。

 

例えば、数字の98は、

quatre-vingt-dix-huit

だし、

残業は

heures supplémentaires 

※「残業する」faire des heures supplémentaires 

だ。

 

もう文法的な視点で見ても、フランス語は1文の中にあれこれと様々な要素が入りこみ一文が長くなりがちな一方で、日本語の場合は主語が欠落する等不必要な情報が割愛されることで、驚くほどに文章が短くなることがある。

例えば、

「今日私は病院に行く」という文章は、主語が欠落し、「今日病院に行く」になる。

 

これを「98回残業する」という内容にすると、

「これまで98回残業をした」

フランス語では…

「J'ai fais des heures supplémentaires quatre-vingt-dix-huit fois.」

となり、書いても読んでも約2倍のスペース/時間を要する。

 

これは非常に大きな差だ。

フランス人は残業を嫌うというが、その要因が実はここにあるのではないかと疑ってしまうくらい、読むのも書くのも面倒だ。

 

ここだけ切り取ると、日本語とフランス語を比較した場合、日本語が圧倒的に効率的な言語のように見える。もちろん、日本語の方が優れていると言いたいわけではないが、何かと曖昧で難解なイメージがある日本語は、世界的に話者が多くリズムも軽やかな英語やフランス語に比べるとどこか頼りない印象もあるが、実際はこのような形で我々の生活を楽にしてくれていた。

もちろん、フランス語の明確さは魅力的だし、関係性構築や会話そのものを楽しむという観点から見れば短時間で言いたいことを伝えるより長々と時間をかけて伝える方が有効だったりもする。

 

言語はその国の文化から影響を受けてその特徴を獲得していくものではないだろうか。もしそうだとすると、日本語の曖昧さや効率性にも、フランス語の長々とした表現にも、背景に何か美学が隠れているのかもしれない。そしてそれが何か想像してみることも、面白そうである。

 

自分らしくあること ~ドラえもん映画とフランス人友達から得た考察~

最近「自分らしくあること」について考えることが多い。

別に何かに悩んでいるとかちょっと病んでいるとかということではなく、日常生活の中で、たまたまそのきっかけがいくつかあり、自然と考えさせられている。

私はもともと「自分らしくあればそれでよい」みたいなことを何のためらいもなく人前で言える人がちょっと苦手だった。何も考えずにきれいごとを言っているように見えて、無責任だと感じてしまっていた。かといって自分らしくあることが悪いことかと問われると、決してそんなことはないと考えていた。最近はいくつかの経験を通して、これらの葛藤が少しクリアになり、「自分らしくあることに価値がある」ということを素直に受け入れられるようになってきた。

今回は、そのきっかけとなったいくつかの出来事をここに記したい。

 

きっかけとなる出来事は3つあった。

1つ目は、我が息子(当時4歳)とのやりとりだ。

私は心から息子を愛しているが、その愛ゆえに息子が将来苦労しないように様々な能力を身につけさせてあげたいと考えていた。

遊ぶときは子どもに思考力をつけるために「どう思う?」と質問を繰り返していたし、言語能力を高めるためにたくさん本を読んであげた。また、感情をうまくコントロールできるように、何か感情が動く出来事があった際には、「うれしいね」「悲しいね」と、感情を言語化して伝えていた。

息子は父親との関わりを喜んで受け入れているように見えたが、私には一抹のモヤモヤが生じていた。息子がこれだけ私との関わりを楽しんでいるのに、私は目の前の息子ではなく、未来の息子の能力にばかり気を取られている。果たして未来の息子は私のこのような関わりを喜んでくれるのだろうか。息子には能力以外にも感情や愛情など人間としてのいろいろな要素があるのに、能力にばかり注目する親を疎ましく思わないだろうか?

夜眠りについた息子の寝顔を見ながら、そんなことを思い悩んでいた。

 

2つ目の出来事は、息子と一緒に見た映画ドラえもんのび太と空の理想郷(ユートピア)』だ。

もう1年ほど前になるが、息子が見たいというので、家族で映画館に見に行った。正直見る前は自分がこの映画を楽しめるとは全く期待しておらず、息子の付き添いで仕方なく見る…という感じだった。

細かい内容にはここでは触れないが、内容を簡単に説明すると、勉強等の私生活が全くうまくいかないのび太は、うまくいかない原因が自分ではなくこの世界にあると感じ、悩みなく何でもうまくいく理想郷(ユートピア)をドラえもんの力を借りていつもの仲間たちと探す旅に出る。そしてその理想郷を見つけ、スネ夫ジャイアンが偏りのない人格や能力を身につけていく姿を見て、果たしてそれが良いのか、価値があるのか疑問を抱いていく。それぞれ苦手なこともあるが、だからこそ面白く、型にはまるのではなくそれぞれの個性を大切にするべきではないかと感じるようになる。そして、自分が生きているこの世界も自分自身も、ありのままで素晴らしいということに気づく、といったところだ。

私はこの映画を見て、息子に対しても自分に対しても、「社会」で必要とされる有能な人間になるために、自分の思いや感情、あるいは自分らしさをどこかに押し込めて、過度に適応することばかり期待していることに気づいた。しかしながらその型にはまった状態は決して理想的な状況ではなく、実は周囲の人々からすれば退屈で価値のない存在に成り下がる懸念もあると感じた。

 

そして3つ目は、あるフランス人の友達とのやり取りだ。

そのフランス人が、「日本人はほくろが多く、そこに『美』を感じる」と発言した際に、私はそれを非常に面白いと感じ、その旨伝えたところ、そのフランス人は「私って変だね…」と、自分自身の独特な視点に恥ずかしさを感じている様子だった。

私は何とか自分自身の良さを感じ取ってほしいと思い、彼女に独特であることの難しさを力説した。周囲に流されず、自分なりの楽しみを追求しなければ独特な視点を獲得することはできない。そして、そんな独特さを獲得した人はとても興味深い人だ。

すると彼女は、「他者より優れていようと思うと、自分らしさを失っていく。自分らしくあることこそが、一番大事なことで価値があるのかもしれない。」と発言し、自分の独特な感性を受け入れられた様子だった。

私は彼女とのやり取りを通して、自分が「自分らしさ」を大事にしたいと感じていて、実際にそれに大きな価値があるということを再確認した。

 

これらの出来事を経て、私の価値観に「自分らしくあること」がより深く刻まれた。そして私は自分自身だけでなく、我が息子、そして支援している子どもたちが自分らしさを自分自身で大事にするために自分や社会がどうあるべきか考えている。

子どもの幸福を思うとあれこれ能力を身につけさせたくなる。きっとそれ自体は悪いことではないと思うが、その過程で子どもが型にはめられ、自分らしさを失っていくことは、やはり不幸だと思う。

まずはそれぞれ人生を好きなように楽しみ、好きなように感想を持ち、そしてそれを好きなように語ることが重要ではないだろうか。

私自身と言えば、とにかく多忙でなかなかそんな時間を取れないが、まずは自分自身でそれを実践し、より自信をもってその良さを他者に語れるようになりたい。

難単語 tenir を攻略せよ!!②

私にとって使いづらい単語 tenir の新たな、そして素敵な表現をフランス人gさんから教わったので早速ここに書き記したい。

 

今回の表現は、声を大にして言いたい表現である。

 

それは、tenir beaucoup à qc である。

意味は、「大切にしている」だそうだ。

 

例えば Je tiens beaucoup à mon vélo で、「私は自転車を大切にしている」という文になる。

 

好きなもの、大切なものの話題は、話していても聞いていても楽しい。

まさか、あの tenir を使用してこんな素敵な文章が書けるとは驚きだ。

 

少しずつ tenir への苦手感が薄まり、むしろ親近感が湧いてきた。

 

難単語 tenir を攻略せよ!!①

外国語を学習していると、時々なぜかわからないがすんなり覚えられない単語と遭遇することがある。タイトルにある通り、私にとって「tenir」はまさにその覚えにくい単語の一つ。

しかし、先日のフランス人gさんとの言語交流の際に、その克服につながる、非常に使える表現を教わったので、忘れないようにここに記したい。

 

その表現は、「tenir au courant」 だ。

意味は、「知らせる」ということ。

 

例えば、

Je te tiens au courant.

Je te tiendrai au courant quand j'aurai fini mon travail.

Merci de me tenir au courant.

といった使い方がある。

 

意味合いとしては、faire savoir と同じだが、この表現の方がカジュアルでよく使われているということである。

正直なぜここで tenir なのか、さらには au courant と続くのか謎であり、tenir という単語の奥深さを再確認しているが、これほど頻繁に使える単語も珍しい。個人的にはあれほど遠く感じていたtenirをカジュアルに使いこなすまたとないチャンスで最近はこの表現を使いまくっている。

 

きっとこの単語は具体的な用法からそのコアイメージが見えるようになる単語なのだろうと今は思う。これを繰り返していくことで tenir の持つイメージを少しずつ理解できるようになるだろう。

 

国語学習をしていて最も達成感を感じるシチュエーションの一つとして、「言えなかった表現を言えるようになる」が挙げられるが、最近は存分にその喜びに浸っている。この感覚があるから、言語学習はやめられない。

 

そして、なんならtenirに愛着さえ感じ始めている…。

また次回、gさんにtenirの用法を聞いてみたい。

 

 

週末に何か予定ある? en français

先日言語交換したフランス人から役に立つ表現を教わったのでメモ。

 

「週末に何か予定ある?」

今週末の予定が既に決まっているかどうか聞きたくてあれこれ考えたが適切な文章が浮かばず素直に質問したところ、話し相手のフランス人が以下の表現を教えてくれた。

J'ai prévu de inf.

ex) J'ai prévu d'aller au café près de chez moi avec ma femme ce week-end.


ちなみに、何も予定がない時は、

Je n'ai rien de prévu.

と言うらしい。

 

このフランス人(以下gさん)から、よく週末の予定や最近あった楽しかったことについて質問される。

日々様々なタスクに振り回されている私はこれに回答できないことが多く30%ネガティブな気持ちになる。残りの70%は、興味を持たれたことに対する喜びの感情。

近年日本では、特に仕事場において、相手の私生活に干渉しない文化が根付いているように感じる。休日の過ごし方くらいでは問題にはならないかもしれないが、もう少しプライベートに立ち入ってしまうと、妙な緊張感が走る。根底には嫌な思いをさせたくないという優しさがあると思うが、リスクを回避しているだけでは私がgさんから感じたような感情は味わうことができない。

日本の、相手を慮る思慮深さも魅力的だが、相手に興味を持ち相手の心を開いていく姿勢も素敵だと感じた。