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自分らしくあること ~ドラえもん映画とフランス人友達から得た考察~

最近「自分らしくあること」について考えることが多い。

別に何かに悩んでいるとかちょっと病んでいるとかということではなく、日常生活の中で、たまたまそのきっかけがいくつかあり、自然と考えさせられている。

私はもともと「自分らしくあればそれでよい」みたいなことを何のためらいもなく人前で言える人がちょっと苦手だった。何も考えずにきれいごとを言っているように見えて、無責任だと感じてしまっていた。かといって自分らしくあることが悪いことかと問われると、決してそんなことはないと考えていた。最近はいくつかの経験を通して、これらの葛藤が少しクリアになり、「自分らしくあることに価値がある」ということを素直に受け入れられるようになってきた。

今回は、そのきっかけとなったいくつかの出来事をここに記したい。

 

きっかけとなる出来事は3つあった。

1つ目は、我が息子(当時4歳)とのやりとりだ。

私は心から息子を愛しているが、その愛ゆえに息子が将来苦労しないように様々な能力を身につけさせてあげたいと考えていた。

遊ぶときは子どもに思考力をつけるために「どう思う?」と質問を繰り返していたし、言語能力を高めるためにたくさん本を読んであげた。また、感情をうまくコントロールできるように、何か感情が動く出来事があった際には、「うれしいね」「悲しいね」と、感情を言語化して伝えていた。

息子は父親との関わりを喜んで受け入れているように見えたが、私には一抹のモヤモヤが生じていた。息子がこれだけ私との関わりを楽しんでいるのに、私は目の前の息子ではなく、未来の息子の能力にばかり気を取られている。果たして未来の息子は私のこのような関わりを喜んでくれるのだろうか。息子には能力以外にも感情や愛情など人間としてのいろいろな要素があるのに、能力にばかり注目する親を疎ましく思わないだろうか?

夜眠りについた息子の寝顔を見ながら、そんなことを思い悩んでいた。

 

2つ目の出来事は、息子と一緒に見た映画ドラえもんのび太と空の理想郷(ユートピア)』だ。

もう1年ほど前になるが、息子が見たいというので、家族で映画館に見に行った。正直見る前は自分がこの映画を楽しめるとは全く期待しておらず、息子の付き添いで仕方なく見る…という感じだった。

細かい内容にはここでは触れないが、内容を簡単に説明すると、勉強等の私生活が全くうまくいかないのび太は、うまくいかない原因が自分ではなくこの世界にあると感じ、悩みなく何でもうまくいく理想郷(ユートピア)をドラえもんの力を借りていつもの仲間たちと探す旅に出る。そしてその理想郷を見つけ、スネ夫ジャイアンが偏りのない人格や能力を身につけていく姿を見て、果たしてそれが良いのか、価値があるのか疑問を抱いていく。それぞれ苦手なこともあるが、だからこそ面白く、型にはまるのではなくそれぞれの個性を大切にするべきではないかと感じるようになる。そして、自分が生きているこの世界も自分自身も、ありのままで素晴らしいということに気づく、といったところだ。

私はこの映画を見て、息子に対しても自分に対しても、「社会」で必要とされる有能な人間になるために、自分の思いや感情、あるいは自分らしさをどこかに押し込めて、過度に適応することばかり期待していることに気づいた。しかしながらその型にはまった状態は決して理想的な状況ではなく、実は周囲の人々からすれば退屈で価値のない存在に成り下がる懸念もあると感じた。

 

そして3つ目は、あるフランス人の友達とのやり取りだ。

そのフランス人が、「日本人はほくろが多く、そこに『美』を感じる」と発言した際に、私はそれを非常に面白いと感じ、その旨伝えたところ、そのフランス人は「私って変だね…」と、自分自身の独特な視点に恥ずかしさを感じている様子だった。

私は何とか自分自身の良さを感じ取ってほしいと思い、彼女に独特であることの難しさを力説した。周囲に流されず、自分なりの楽しみを追求しなければ独特な視点を獲得することはできない。そして、そんな独特さを獲得した人はとても興味深い人だ。

すると彼女は、「他者より優れていようと思うと、自分らしさを失っていく。自分らしくあることこそが、一番大事なことで価値があるのかもしれない。」と発言し、自分の独特な感性を受け入れられた様子だった。

私は彼女とのやり取りを通して、自分が「自分らしさ」を大事にしたいと感じていて、実際にそれに大きな価値があるということを再確認した。

 

これらの出来事を経て、私の価値観に「自分らしくあること」がより深く刻まれた。そして私は自分自身だけでなく、我が息子、そして支援している子どもたちが自分らしさを自分自身で大事にするために自分や社会がどうあるべきか考えている。

子どもの幸福を思うとあれこれ能力を身につけさせたくなる。きっとそれ自体は悪いことではないと思うが、その過程で子どもが型にはめられ、自分らしさを失っていくことは、やはり不幸だと思う。

まずはそれぞれ人生を好きなように楽しみ、好きなように感想を持ち、そしてそれを好きなように語ることが重要ではないだろうか。

私自身と言えば、とにかく多忙でなかなかそんな時間を取れないが、まずは自分自身でそれを実践し、より自信をもってその良さを他者に語れるようになりたい。